不妊症・不育症の鍼灸治療 女性のための鍼灸サロンvvB

41歳で初めての着床・出産

不妊症(不育症)治療・出産体験インタビュー

8回目の体外受精(顕微授精)で初めて妊娠・出産に至った事例

回答者プロフィール・治療歴

田嶋さん(仮名)
神奈川県横浜市 42歳 結婚6年目 ※出産時

2010年
8月 Rクリニック通院開始
夫婦共検査結果異常なし
9月 人工授精で様子をみる
4回行う
2011年
3月 精神的に疲れて通院を中断。体温管理をしてタイミング法で自然妊娠にチャレンジする。
7月 トレーニング・腸マッサージに週一回通う。プラセンタ注射を2日に1回行う。
葉酸(ふたりのサプリ)、マカを飲み始める。
9月 Y産婦人科に通院開始。子宮卵管造影検査の結果、子宮は正常、左右の卵管が少し狭い。
11月 初めての体外受精(顕微授精)。採卵9個中、5コ分割。2個戻したが着床せず。
12月 体外受精(顕微授精)2回目。2個戻す。着床せず。
2012年
1月 体外受精(顕微授精)3回目。1個戻す。着床せず。
2月 体外受精4回目。採卵できず。
3月 体外受精(顕微授精)5回目。採卵3個。2個変性。1個戻すが着床せず。
4月 子宮を休める
5月 体外受精6回目。1個採卵したが変性。
6月 帯状疱疹発症
7月 体外受精(顕微授精)7回目。2個採卵し凍結。
8月 2個戻すが着床せず。
今回を最後に治療をやめることを決意していたが「担当医より1ヶ月子宮を休ませているから次回の採卵でいい卵をとれる可能性が高い」と言われ、もう一度だけチャレンジを決める。
9月 体外受精(顕微授精)8回目。採卵3個中2つ分割、凍結。
12月 卵を2つ戻し妊娠。
2013年
7月 妊娠高血圧症になる。
8月 帝王切開にて出産。(約3000g)

インタビュー本文

インタビュー日時 2014年8月
◆…聞き手

不妊治療開始時からすでに体外受精・顕微授精も視野

さっそくなんですが、不妊治療を始めたきっかけから教えていただけますか?

不妊症・不育症治療体験談インタビューイメージ
田嶋さん親子

(主人と)お付き合いしたのが遅かった、36かな?1年くらい付き合って主人の方がもう結婚を意識してくれて。その時「自然に先に子供ができてもいいよね」みたいな状況にしていたんですけど、やっぱりその時から子供がぜんぜん、もちろん結婚してからもできなくて。自然にできるかなーと思っていたけど、周りの人に「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないよ、病院に行きなさい」とやっぱり言われて。でもなんかグダグダしちゃってたのかな。結婚してから半年以上試していたけどできなかったから、それで思い切って「行ってみよう」となって。すぐに本当は体外受精をやりたかったんですけど……。

体外受精をやりたかった?

うんうん。だけどやっぱり最初はなんか人工授精だなんだとRクリニックで言われて、なんとなくこの先生とあわなくて……。結局4回人工授精やったのかな。でなんかもうイヤになっちゃって一旦しばらく休んでしまったんですよね。で、その先生の所にまた行くのが嫌だなと思っていたときに、友達にY産婦人科を紹介されて、「行ってみよう」という感じです。本当にすぐに子供が欲しかったので、歳も歳だったんで。

最初にRクリニックを選んだきっかけは?

Y産婦人科って、朝一、自分の家で(精子を)取っていかなきゃいけないんですが、Rクリニックさんは、会社を途中ちょこっと抜けてすればいいみたいな感じ。簡単といったら変ですけど、そんなに苦痛じゃなく(人工授精の)4回はできたといえばできたんです。けどなかなか体外受精と顕微授精をしてくれずに……。私は歳なのにゆっくりやっているから、なんか嫌になってきちゃって移動(転院)したんですよね。

ステップアップを望んでいたのになかなかできなかったから転院した。

そう、あとなんとなく先生と相性があわなかったみたいだったから。

不妊治療を始めた時にはもう体外受精も考えていた。

顕微授精も。もうこれ以上できないよということを早くやろうと。

珍しいケースかもしれませんね。

主人も「何回もやっても仕方ない」というのがあって、歳も歳だったからどんどん時間が過ぎていくのが怖くて。とにかく一番”MAX”までお金はかかってもいいから。一回一回をいいもので(不妊治療)したいと。そうすれば諦めも早くつくかなと思ったんですよね。一回ずつもうこれ以上できません、というところまで(お金を)出しておいたら、お金がつきたら(不妊治療を)やめるだろうし。それで何回もやってだめならもうやめようという思いが強かった。

ということは、不妊治療を開始したときからもう終了時期も考えていたということですね。

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うん。(主人と)二人でいることがすごく楽しかったけど、やっぱり「二人の子供は欲しいね」と。向こうの両親からも「本当に子供が欲しかったら、他の子を育てればいいじゃない」くらいのことを言われていたけど、私と彼の中では、二人の子が欲しいというのがハッキリしていた。できなったからといって誰かの子供を育てるというつもりは全くなくて。もしできなかったら二人で人生を歩こうねと決めていたという感じです。いなかったらいないで、その人生を二人で楽しまなきゃっていう強かった。もちろん子供がいたら楽しいだろうし、世界も広がっていくだろうとは思っていたけど、(子供が)いなかったらいないで、二人が出会ったこと自体が奇跡だから、子供も望んでいたらバチがあたるのかな、くらいの考えでいたんです。

(お子さんの方を向いて)また奇跡が起こったんですもんね。

そうですね……。最初、Y産婦人科で(主人と二人)お互いに「異常がない」「(軽く)すぐにできるよ」と言われたんだけど、なかなかできなくて(笑い)。最初、(気持ちを)あげられちゃったから、あとはどんどん落ちて……。最初に卵が9個とれたんですよね。「その歳ですごい」なんか言われて、「この調子でいればすぐにできるんだ」「より高度な医療(顕微授精)もまだ残っているし」なんて舞い上がってたんですけど、なかなか(笑い)。

ご主人、お母様の強い後押しで不妊治療を継続

落ち込むことはよくあった?

落ち込んでやっぱり泣く。ただいっぱい泣いたほうが諦めがつくって思っている自分がいて。とことんやって泣くなら泣いて、(気分が)落ちるなら落ちたほうがいいんだろうなと、泣きながら思っていた。限界に達すれば自分でもうやめると思えるだろう、ということを繰り返し。

ご主人の気持ちはどうだったですか?

私の涙を見るのが嫌だったと。自分は何もしてあげられないという気持ちで。私が「やめたい」といった時に「いいよ」と最初言ってくれたんですけど、しばらくしてから「実はやっぱりがんばりたい」と言われたことがあって。向こうのお母さんからも「本当にあきらめるの?」とすごい言われて、そこまで言われるんだったら……というのと、主人に確認をしたら「もう少し頑張って欲しい」と言われたから頑張ることができたみたいのがあった。主人の母が強く言ってくれなかったら、(お子さんを見ながら)この子ができてなかったかもしれない……。みんなの力ですよね。自分たちの力だけじゃなくて。周りの人がいい意味でも悪い意味でも(笑い)。

不妊治療は周囲にオープンに、少しでも役立ちたいという思いから

由紀子さん、周囲の相談相手は比較的多かった?

そうですね。妹が看護師で二人子供を産んでいるので妹にも相談できた。

あれ?妹さん二人目?

ちょうど先生の所に来ている時にできたんですよ。(子供が)欲しいわけではなくて、もうあきらめている時にできたみたいで。不妊治療中の私に言いにくかったみたい。

では妹さんが一番の相談相手ですね。お互いのご両親には治療をしていることを伝えていたんですよね?

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伝えてましたね。もうぜんぜん明るく「いついつ行ってきます」みたいな感じで細かく。主人の両親には逐一、逆にうちの両親にはあまり言わなかった。言わなくてもわかってもらえていたというか……。ただ、最初は元気に明るく「ダメだった」とか言えていたけど、3回目くらいから言うのがイヤになってきて……。(義理の)母に報告することの方がだんだん苦痛になってきた……。自分たちの落ち込みもあるんですけど、母も落ち込むのがわかるからキツかった。自分と主人だけのことじゃなくて、周りも巻き込む。明るくしゃべっていてもすごく心配されちゃう。途中から、心配されることが苦しかったというのがありましたね。

不妊治療をしていることを話していない人の方が結構多いですよね。

……ね。けど私たち結構明るく話したんですよ。友達にも「頑張るよー」とか「今度やってくるねー」みたいな感じで(笑い)。誰か同じことで悩んでいる人がいたら共有、情報交換にもなるかなーというのもあった。

ご主人も同じ気持ち?

同じですね。世の中の人に不妊治療ってこんなに大変なんだよというのを知ってほしい気持ちが強かったのは主人も一緒で。今、周りにひとまわり若い30歳前後の人たちがいっぱいいて……子供だけが人生ではないですけど、子供をつくるのが大変なことなんだと、知っているのと知らないのではぜんぜん違うことだから、「自分たちを通して気づいてくれたらいいね」と。手遅れにならないうちに。お金もすごいかかるし、精神的にももちろんつらい。先にわかってて遊んでいる分にはいいけど、そういう辛さ、痛いというのも知らないというのは逆にかわいそうだから。ただ不妊治療をしているのももったいないと言ったら変なんですけど……。

社会貢献?

そうそう。上からの目線じゃないけど、もっと真剣に考えた方がいいよというのを……。主人も私も笑っていたけど、すごい辛かっただけに……。本当はしたくないことじゃないですか?こんな思いをもししちゃう人がいるんだったら、少しでもお伝えできたらなというのが頭の片隅にあって。私が(子供が)できてから、4人くらい不妊治療をするっていう人が相談にきた。友達の友達みたいな人からも連絡があった。ちょっとは(不妊治療の)嫌な思いをしたのもプラスになってんのかなと。

世のため人のためですね。

いえいえそんな、結局自分のためですけど。だけどこうやってできたから喜んで話せるけどね、できてなかったら自分はどんなふうに生きていたのかなってすごい思うんですよ。しかも同じ歳の子で結婚もしてなくて子供もいない、仕事にこう”ガーッ”と向かっている人もやっぱりいる。私も(子供が)できちゃったから嬉しいし、みんなも喜んでくれてはいるんだけど、そういう人たちとしゃべる時……45歳くらいの人がポロッと「私も欲しかった」と言ったりするんですよね。そうすると言葉が詰まっちゃって……。「(子供が)できないなりの人生があるじゃん」なんて、私も思うところまではいったけど、結局はできてくれたから、本当の意味でのできないっていう人の気持ちをわかってあげられないと……それを最近辛く思うんですよね。

(ため息)

体(子宮)にいいと思えるものは積極的に試していく

治療を開始してからご主人の変化って何かありましたか?

ぜんぜん変わらない。最初からずっと協力的で。私が泣いたら一緒に泣いてくれて。「大丈夫だよ」とも言わなかったし。泣く時は泣いて、笑う時は笑ってみたいな感じ。

確か公園でご主人と二人泣いたことがあったんですよね?

あー、葛西臨海公園。「これで最後、もう(不妊治療を)やめよう」と。

帯状疱疹ができた後、この時は確か体外受精7回目。

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そうそう、体外受精7回目でダメで……帯状疱疹もできて間も空けたし、体も万全にして、「これで着床しなかったらやめよう」とここ(葛西臨海公園)で決めてたんですよ。それで結局、着床してなかった。顕微鏡検査で全くかすってもないという感じで。

全部で8回体外受精しているんですよね。鍼は始めたのはこの頃ですが、その前には腸マッサージへも行ってますよね?

それは1年前に行ってますね。足の裏のマッサージとお腹と。

不妊治療にはどんな効果がある?

腸って”第二の脳”って言われていて、悲しみとか怒りとかそういう記憶を持っていて、そこに硬い部分があってそれをほぐしてあげる……。そこにすごい救われて、うん。最初、腸が冷えていると子宮に近いからやっぱり良くないと言われて。とにかく温めてやわらかくすることによって妊娠に役立つと。精神的にすごく助かったんです。それはすごく行ってよかったって。

プラセンタの注射もしていましたよね?

妹がなんか「自分が妊娠したのはプラセンタじゃないか」ということで打ちましたね。妹は疲れとかお肌にもいいということで打ってた。お尻が痛くて痛くて。硬いしこりみたいになっちゃうんですよね。あざにもなるし……。それにサプリメントなんかもいっぱい飲んだ。

マカとか?

そうそう(笑い)、葉酸もやった。主人も私もとにかく体、子宮にいいものをしてあげるという考えだったんですね。

ええ。私はラッキーなんですよね。たまたま資金があって、できることをやってダメだったらあきらめようという考えを持てたのは。「主人に感謝」じゃないですけど。1から10までやれば、たぶんあきらめやすいじゃないですか。変な心配がなかった。友達に聞くと「保険を解約した」とかいっぱいいたから、本当に自分は恵まれていたんだなと感謝……。

生活習慣で何か気をつけたことは?

特に。お酒もたばこもしてなかったし、あんまり基本的に体に悪いことはしてなくて、Y産婦人科でやった検査でも子宮の年齢が30歳くらいだと言われて、だからこそ先生が「なんで(子供が)できないんだろう?」と困っちゃって。データはいいのに一回も着床しない。

鍼は初めてだったんですよね。鍼を始めた理由は?

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あとは何ができるのかと思って調べたら、鍼がでてきて。着床するしないは、血液の流れに関係あるのかなと思って、先生のホームページを見て、やった方が絶対プラスになると思って始めたんです。

私やっぱりすごい恵まれていて、の先生もそうだったんですけど、精神的に落ち込むっていうのがあまりなくて、ちょっとでも嫌なことがあると先生に話したり。話すと楽になるじゃないですか。そういう意味で精神的に安定できたんだなと。「大丈夫」と言われると、いろんなことをプラスに考えられて、「これだけのことをしていてダメだったらそういう命なんだから」と。できて(妊娠して)からでもそういうふうに考えられる。産まれる直前まで診てもらうことによって、ホッとした。

本当に鍼治療が最後の最後だったんですよね。7月に鍼を始めてもう12月に妊娠しているんですよね。今までの由紀子さんの積み重ねに、最後にひと押しした感じでしょうかね。

これで本当に最後、これでダメだったらもうあきらめようと。精神的にもギリギリだったと思うんですよ。

出生前診断は受けず

ところで出生前診断は?

受けなかった。

受けなかった理由は?

最初主人も主人の母も「やって欲しい」と。ただ着床したことがなくて、初めてこの子の心拍を見た時に主人が「もう(診断は)できない」と。診断した時に流産する可能性もあるじゃないですか、これでわたし流産したら……というのがあって、私はしたくない、というのが強くあった。

出産後、子供をめぐって夫婦関係にもつれ

出産後、振り返ってみて何かありますか?

うんとね、最初の3ヶ月は辛すぎて……、産んだことではなくて、主人との関係性がうまくいかなくて。

産んでから?意外ですね!?

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(お子さんの耳を塞ぎながら)産んだことを後悔するくらい、なんであんな辛い経験をしたのに……「夫婦って大変」という方に集中しちゃって。

うちの主人ってすごく面白い人だから、私が大変な時でも、すごく笑わせてくれようとかするんですよ。でもこっちは寝てないし疲れているし、精神的に私は崩れているから、笑う余裕もなく……主人の言葉を流すことができなくてよくぶつかりました。2人でいる時なら笑って終わる内容なのに子供がいて余裕がない時は辛かったですね。子どもができて幸せなはずなのに、3人の関係がなかなか上手くいかなくて大変でした。家族を作るって大変な事なんだと実感しました。

それから実際に24時間ずっと一緒にいるのは私なのに「あ~すれば、こ~すれば」とか言われることがとても嫌でした。「何もわからないくせに」と思ってしまうことが多々ありましたね。でもいろんなことを経験してぶつかり、たくさん話し合って家族になっていくんだと深く感じました。今ではお互いの役割をしっかり分けることでとても楽しく生活できるようになりましたけど……。

それはつらかったですね。

すごくつらくて。ただ私もたぶんおかしいんですよね。普通はお母さんは子供に集中するんですよね。でも主人との関係性の方をすごく重視してみていたところもあって、みんなに変わっていると言われました。この子がいなかったら……と考えちゃうくらいに追い詰められましたね。そっちの方がつらかった。

不妊治療をしている・これから始めようとする方々へ

不妊治療をしている方、これから不妊治療を始める方に何かメッセージはありますか?

私も治療するまで、自分の体というか、卵を持っていてどんどんそれが減っていく、古くなっていくということを知らなかったんですよね。だからそういうことをもっと皆さんに知ってほしい。テレビとかでもこういう特集をもっともっと組んでほしい。一日でも早くということもあるので、躊躇することもあるだろうけど、自分たちのできる限りの中で、ツラいとか、怖いとかよりも、たくさんやったほうが。まずは健康でいるということが大事だから、不妊治療だけじゃなくて、こういう鍼とかサプリメントとか、ご飯を食べるというような基本的なところからも始めたほうがいいのかな。

友達でも「煙草吸ってました」「お酒ガンガン飲んでました」という人が多い……。ストレスになっては仕方ないけど、治療できる期間は決まっているから、そういうの我慢して。子供を欲しいという思いがあるのなら、一日でも早く始めて欲しいと思いますね。

ありがとうございました!

聞き手の感想

いつも明るく、朗らかな田嶋さん。周囲に対して不妊治療を隠さずオープンにしていたことは比較的珍しいケースかもしれません。「明るくしゃべっても心配されちゃう、途中から心配されることが苦しかった」とおっしゃっているように、オープンにしていたゆえの悩みもあったようです。田嶋さんの貴重な経験のお話が、同じように不妊治療で悩んでいる方、これから不妊治療を始める方など一人でも多くの方に伝わるといいなと思います。当院に週に1度のペースで通い始めてから5ヶ月で妊娠、38週まで鍼灸治療を継続されました。

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