新鮮胚移植グレード3で妊娠・出産
不妊症(不育症)治療・出産体験インタビュー
新鮮胚移植グレード3で妊娠。胎盤早期剥離、糖尿病を乗り越え出産に至った事例
回答者プロフィール・治療歴
篠塚さん(仮名)
神奈川県川崎市 34歳 結婚 8年目 ※出産時
2010年 | |
7月 | 子作りスタート タイミング法を試みるも✕ |
2011年 | |
3月 | 転居、自然妊娠 |
5月 | 稽留流産 |
10月 | 子作り再開、A医院にてタイミング法からスタート |
12月 | 通気・通水検査 異常なし |
2012年 | |
7月 | Aクリニックへ転院 AIH(人工授精)1回目 |
8月 | AIH 2回目 |
10月 | フーナーテスト 異常なし Tクリニックへ転院 AIH 3回目 |
12月 | AIH 4回目、卵管造影検査 異常なし |
2013年 | |
1月 | AIH 5回目 |
2月 | IVF(体外受精)1回目 採卵数ゼロ |
3月 | IVF 2回目 採卵数5コ 受精せず |
5月 | IVF 3回目 採卵数5コ 3コ受精 分割せず |
7月 | 鍼灸治療スタート |
8月 | Xクリニックへ転院 |
9月 | IVF 4回目 多精子受精にてストップ |
10月 | IVF 5回目 採卵数ゼロ |
2014年 | |
2月 | ハワイ旅行 クカニロコバースストーンへ訪問・祈願 |
4月 | IVF 6回目 採卵数2コ ICSI(顕微授精)1コ空胞、 1コ受精せず |
5月 | IVF 7回目 採卵数5コ ICSI(顕微授精)2コ異常授精、3コ受精 そのうち2コは分割ストップ、残り1コを移植へ、初移植 |
6月 | つわりにより1週間入院(ケトン体4+) |
7月 | 実家にて静養。妊娠糖尿病と診断(13週) |
8月 | 大量出血にて緊急入院、切迫流産・早産の恐れ有り、24時間点滴をしてベッド上で過ごす日々 |
10月 | 退院、自宅にて絶対安静の指示、糖尿内科と産科を隔週受診・通院 |
2015年 | |
1月 | 出産 |
インタビュー本文
インタビュー日時 2016年4月
◆…聞き手
はじめに
ご出産おつかれさまでした。大変でしたね。
妊娠がゴールじゃないんだなと(笑い)。
出産まですごかったんですよね。
(妊娠が)わかって喜ぶ間もなくつわりがひどくて・・・・・・。
心拍確認の前にうち(サロン)に来てくださってて、その後でメールをいただいているんですよ。その後、すぐに入院されているんですよね。
そうですそうです。つわりがひどくて飢餓状態だから今すぐ点滴を打たないと赤ちゃんが危ないという話になって、それで一週間入院して。ブドウ糖だけ(笑い)。
どのくらい痩せられましたか?
50kgあったんですけど、今は44kg。食べるとお腹を壊しちゃうんですよね。
それは出産してからですか?
ええ。もうちょっと太ろうかなって思ってるんですけど・・・・・・。卒乳はしたので・・・・・・。
妊娠中は糖尿病になりましたよね。
ええ、糖尿病でカロリーコントロールされていたんです。インスリンを打っていたので、食べないと低血糖になっちゃう。それも難しかったんですよね。食べたいものは食べれないんだけど、ちゃんとごはんは食べないと低血糖になっちゃう。
赤ちゃんに栄養がいかなくなってしまいますもんね。大変でしたよね。
壮絶でしたね。記憶が無いくらい。つらいことって忘れるんですね(笑い)。
不妊治療を始めるきっかけ
結婚後3年間は子供(づくり)は待って、それで半年くらいタイミングをとってから東日本大地震の時に妊娠。しかし11週で稽留流産したんですよね。
ええ、気づいた時に11週で、いなくなっていたのが7週。
この時に心拍確認は?
確認できていたんです。つわりも11週まであって、(赤ちゃんが)いるものだとずっと思っていて気づかなかった。11週で「赤ちゃんいないよ」ってことで・・・・・・。でもその時から闘争心に火がついて。「絶対もう嫌だ、こんな思い絶対したくない」と思って(子供を作ろうと)本腰を入れようと。
一番最初に行ったA医院を選んだ理由は?
家から2,3分の距離で近かったんです。一度流産していて、流産しているとまたすぐ赤ちゃんができやすいなんていう話をよく聞くので、またすぐできるだろうと安易に・・・・・・。
普通はそう思いますよね。この時選んだA医院には不妊外来はあったんですか?
普通の婦人科でしたね。「うちには造影検査とかないから、タイミング法と通気・通水検査をしましょう」ということでした。
タイミング法の時、クリニックによっては薬を出しますが、この時に薬は出ましたか?
ありませんでした。排卵しているから大丈夫ということで。
排卵の前後にチェックしにいった?
ええ、「卵胞何ミリだから」とか指導をいただいて。
どのくらいの頻度で通院してました?
月に一回くらい。
では負担なく?
そうですね。全くなく。
転院、人工授精にステップアップ
それで9ヶ月くらいでAクリニックに転院したんですよね。これはどうして?
(Aクリニックに)友達が通っていたんです。「いい先生だよ」って。人工授精もできるというので行きました。
この時にステップアップを考えたんですね。
(最初に行った)A医院で赤ちゃんができるだろうと思っていたんですよね。でもできなくて「じゃあ次」って。でもまさか自分が人工授精をするだろうと思ってなかったんですけど、しなきゃだめだなって思ってきたんですよね。
この時は32歳。若いですよね。それでも危機感があったんですね。32歳だと周りのお友達は結婚していない方も多いんじゃないですか?
私の周りは子供がいる人の方が多かったかもしれないですね。
周りの影響もあったんですね。
再び転院、体外受精にステップアップ
それで次のAクリニックは3ヶ月間通院して、次にTクリニックへ。
ここAクリニックは・・・・・・何で(短期間)だったんだろう・・・・・・。いろいろとちょっと不便だったような気が・・・・・・。体外受精も他(のクリニック)でやるというような説明だったような・・・・・・。
ここでAIH(人工授精)を二度して、フーナーテストは異常なしだったんですね。Tクリニックに移ったきっかけは?
体外受精ができるっていうのと、それと携帯で見ると評価が高かったから。
ネットの評判ですね。TクリニックではAIHをやって卵管造影検査もして、翌年から体外受精を始めたんですよね。
この時にAMHを検査したんです。AIHをやっても結果がついてこないので、AMHを調べてみようとなって。そうしたらAMHが1.3、卵巣が実年齢よりプラス10歳だからって、「AIHをやっている時間がもったいない」ってお医者さんに言われて、それで体外受精になったんです。
この時に抵抗はありました?
ありましたー。ありましたね。すごいありました。
ご主人の方は?
主人の方は「あきらめたら終わりだから」って。「いくよいくよ」って。
ご主人が背中を押してくれた?
そうですね。私の母もお金をおろして「これでやりなさい」と。母と主人と二人の応援が・・・・・・。
相談相手
お母さんには相談をできたんですね。
相談しましたね。流産をした時も実家に帰っていたときで、手術のつらいのとか見ていたので。(母が)「子供を抱かせてあげるからね」と。
相談相手は他には?
姉と・・・・・・あと友達が同じ体外受精をしていて(赤ちゃんを)授かっていたので、その子に連絡をとっていましたね。
経験者であるということは大切ですか?
そうですね。女性って共感してもらえて「うんうん」と言われてスッキリする部分があるので・・・・・・。経験されている方の意見とか”同感”というのもすごい励みになりましたね。
インターネットで検索される方が多いですが、ネットでよく調べましたか?
調べましたー!鬼のように(笑い)。夜になると携帯を離さず見て。
そういう方のブログとか。
その時にちょうどR.H(仮名)さんの(ブログ)が・・・・・・。あの時、おおっぴろげにやってくれる方ってあまりいなかったですよね。力になりました。
R.Hさんの貢献度は高いですよね。
体外受精(IVF)治療開始
Tクリニックでは薬を使ってましたか?
スゴく使ってました。(2番目に行った)Aクリニックの方ではクロミッドだけでしたね。
Tクリニックでは体外受精を3回ですね。ここは基本ショート法で確か希望があればロング法だったと思いますが、この時はどちらでしたか?
ショート法。それで自己注射ですね。夜の9時くらいクリニックに行って筋肉注射。
この時、採卵できた数は多かった?
えーと、卵を無理やり作っていたんですけど・・・・・・採卵数も多いんですけど結果がついてこなかったんです。
3回とも同じ方法?
全身麻酔で採卵。
卵が少ないと局所麻酔での採卵が一般的ですが、採卵数が多いから全身麻酔だったんですね。
さらに転院、グレード3で移植・妊娠
その後、Xクリニックへ。
4ヶ月くらい(治療を)休んだんですよね。心身ともに疲れてしまって。宮城さんにXクリニックを勧められて「じゃあ行ってみよう」「いいと言われたことはすべてやってみよう」と・・・・・・。
病院を変える時ってエネルギーが必要ですよね。
TクリニックからXクリニックに行くとき「なんでうちでもっと頑張らないの?」と先生に言われました。「うちでできるよ」ってことを言ってくれたのですけど、「すみません、他に行きます」って。
なかには紹介状を書いてもらわないで行く方っていらっしゃいますね。そういうやりとりが嫌なのかもしれませんね。
たしかに勇気がいりましたね。
そうしないとまた同じ検査をすることになってしまう。
そうですね。だからXクリニック行っても卵管造影とかもしないですぐにできた・・・・・・。申し訳ないですけど、もう(そこの)先生には会わないだろうから言っちゃおうと(笑い)。
そう、今でも覚えているんですけど、確かXクリニックに行ってすぐ2日後に「採卵しよう」と言われたんですよね?
そうです。そうです。でも「無理です」って(笑い)。
Xクリニックに行って4回目(通算7回目)の体外受精で初移植、初妊娠。
今まで分割することもなかったですしグレードも低かったんです。この回の移植した一個の卵もグレードが低かったけど、先生が「移植してみようか?」と。
(当時のカルテを見ながら)新鮮胚移植でグレード3だったんですよね。でもよかったんですよね。
そうなんですよね。(妊娠は胚の)グレードとかじゃないんだなって思いますね。
それで陽性反応が出て、この時はHCG74って書いてありましたね。Xクリニックでは「二日目胚ではこの時期HCG20あれば良い」ということで、かなりいい”手応え”ということでした。この時分割が初めてでそして初めての移植。それで着床したんですもんね。子宮の状態は良かったんですね。この時は顕微授精でしたね。
主人の方も(精子の状態が)ちょっと良くなかったんです。より成功するために顕微(授精)にしようかという話になった・・・・・・。
この時はご一緒にクリニックに行かれたんですか?
いえ、(精子は)持っていきました。
Xクリニックではかなり待ちましたか?
待ちましたね。3時間、4時間は当たり前でしたね。
Xクリニックでは卵管造影検査は受けなければいけないはずでしたが、受けなかったんですよね?
はい、Tクリニックで受けていて、まだ一年経っていないからイケるということで。
一年経っていたらまた検査を受けないといけない?
たぶんそういう説明だったと思います。
卵管回帰説というのがあるんですよね。子宮に戻した受精卵は卵管で成長して再び子宮に戻るという説で、卵管が通っていない方は胚盤胞まで育てて移植するということをしているそうなんです。
そうなんですか。
移植してからは?
移植後10日後に血液検査で陽性反応をいただいて、そのまた10日後に心拍確認。順調ですぐに「うちではもう診ないよ」って言われて、それでXクリニック卒業。
陽性反応がでた時は・・・・・・?。
本当に嬉しかったですね~。そもそも移植が嬉しくて。移植できるっていうことで嬉しくて舞い上がってました。(それまで)移植までいかなかったので。
妊娠糖尿病、胎盤早期剥離
それで妊娠糖尿病がわかったのは13週。
つわりで実家に帰っていて、そこでさきに出産する病院を決めて、そこで検査をしたら「糖尿病」ということで。実家にいるうちに大量出血をしてしまい入院して、そうしたら「もう(自宅に)帰っちゃダメ」って言われて絶対安静で。ここから主人と9ヶ月別居生活が始まったんです(笑い)。
(笑い)。さみしかったですね。ところで大量出血はどうして?
胎盤の上が剥がれちゃって、(赤ちゃんが)大きくなってまたくっついたけど。
この胎盤早期剥離は糖尿病と関係が?
いえ、関係なく。もともと子宮が弱かったのかもしれないですけど。さらに前置胎盤の疑いがあって・・・・・・。それは大丈夫でしたけど。
胎盤早期剥離が14週頃でしたね。
(病院に言われたのは)22週を超えないと強い薬を使えないから「弱い薬を点滴でして、あとは出血が止まるのを待つ」と・・・・・・結局ずっと出血してました。
この時はずっと入院?
入院は3ヶ月間。(痕を見せながら)今でも点滴の痕が残ってます。もう打つ場所がなくなっちゃって。
本当だ・・・・・・。どなたかご家族に糖尿病の方がいらっしゃる?
はい、祖母が痩せてて自分でインスリンを打っていた記憶がありますね。糖尿病って太っていて大きな人がなる病気って思っていたんですけど、そういうわけじゃないなと。
妊娠糖尿病の場合はやっぱりご家族の方がなっていらっしゃる場合が多くて、遺伝的な要素が大きいのかもしれないですね。出産したらもう平気?
ええ、でもなりやすいから血液検査は年に一回しなさいと言われてます。先生が言うには体に負担がかかったり疲れたりすると糖尿病になりやすいと。
よく妊娠糖尿病の方だとお子さんが巨大児になりやすいと聞きますが、お子さんはどのくらいでしたか?
2700グラムくらい。インスリンで調整して・・・・・・。ほんとうに食事はひもじい生活でした(笑い)。
どんなものが制限されていましたか?
甘い物、果物も。となりのベッドの子は葡萄がでているのに、私はバナナ一切れとか。でもお米は食べないといけないので、ちょっとだけふりかけ使って(笑い)。妊娠中に痩せた・・・・・・(笑い)。
仕事との両立
不妊治療中は働いてましたよね。仕事をしながら治療の難しさはありましたか?
ありますあります。職場には一切言わなかったんです。若い子も多いですし、お子さんいらっしゃる方も多いですし・・・・・・。
言う環境ではなかった?
そうです。「なんで(子供を)作んないの?」と言う上司だったので・・・・・・。誰にも職場では言わなかったですね。だから「子供はまだ興味ないの~」なんて強がってましたね。40代、50代の方もいらっしゃったけど、その方たちは何も言わなかったので、たぶん気を遣ってくれていたのかも・・・・・・。
時間の調整はどのように?
不妊治療を始める前は週5日、始めてからは週3日のパート扱いにしていただいて、シフト制だったので採卵とかその付近は仕事を入れませんでした。午前仕事に行って午後は病院とか・・・・・・。
体外受精になると何度も通院しないといけなくなりますが、どのくらい行きましたか?
月に5,6回は行ってますね。仕事より不妊治療を優先していたので、仕事は融通を利かせていただいてました。正職員で不妊治療をされている方ってスゴイなって思いますね。上の方に言えば優遇されるんでしょうけど、そういう目でも見てもらいたくなかったので。
不妊治療中の夫婦関係
不妊治療中にはどんな気持ちでしたか?
本当によく泣いてましたね。本当に。風呂おけ一杯分くらい溜まってるんじゃないかなっていうくらい(笑い)。泣いて愚痴って主人に癒やされて・・・・・・、甘いモノを食べて「よし頑張るぞ」っていう繰り返しをしてました。クリニックでも泣いてましたね。でもトイレから目を腫らせて出てくる女性を見て、「自分だけじゃないんだな」って感じました。Xクリニックに言った時に、自分はまだ若い方なんだなっていうことを実感して・・・・・・。白髪が生えている方が座っている姿とかを見て、「あの人も頑張ってるんだったら私もまだ頑張れる」っていうのがありましたね。
この時にXクリニックではまだ年齢制限がなかったんですよね・・・・・・。ご主人は協力的だったと聞いてますがすごく助けられました?
(主人は)ポジティブでしたね。すごい助けられました。私、ネガティブなんですけど(笑い)。(不妊治療経験談のアンケート用紙のご主人様回答欄を指差して)何か書くことないって訊いたら、「ありすぎてまとめられない。『あきらめたら終わりだ』ってことを言っておいて」と。
治療をして夫婦の関係に変化はありましたか?
「夫婦が仲がいいと赤ちゃんが来ない」って聞いて、「私たち仲が良すぎるから来ないんだろうね」って、わりと前向きでいたかもしれないですね(笑い)。
不妊治療をしているご夫婦の方ってみなさん関係が「密」ですよね。
本当にパートナーって感じ。
試してみたこと
サプリはどんなものを?
妊娠直前はローヤルゼリーですね。資生堂のですね。その前は温経湯(うんけいとう)。
Xクリニックでは漢方薬はすすめないと思いますが・・・・・・?
それもこちらで勧めていただいたもので。。。
え、勧めました?(苦笑)。
確かY医院で出してもらった。
あ、Y医院にも行ってましたね!
Xクリニックの時にY医院にも行きました。温経湯だけもらいに。半年くらい続けました。
いわゆるセカンドオピニオンですね。
そうですね。先生がなにぶん強烈な人ですけど・・・・・・(笑い)。主人と二人で言って、いろいろとズバズバ言う先生でしたけど、別に嫌でもなく。
Y医院では内診はしました?
いえ、漢方薬だけ。Xクリニックの数値だけ持って行って温経湯だけを出してもらっただけでした。
Y医院に先生はXクリニックの先生を信頼してますものね。
そうですね。Tクリニックの先生も知り合いみたいでしたね。あとはルイボスティーとか世間でいわれるものはやりましたね。
カフェイン断ちはしました?
一応しました。でも結果がついてこなかったので、Xクリニックに行った時くらいから普通に採卵の前でもコーヒーを飲んでました。
お酒は?
お酒は結果がダメだった時は飲みました(笑い)。いつも受精もしなかったので、電話でダメだったって聞いた時は飲んでました(笑い)。
普段飲んでいたってわけじゃないですよね?
その時だけ。やけ酒ってわけじゃないですけど(笑い)。
お休み期間中にハワイの(たどたどしく)クカニロコ・バースストーンへ行ってますね(笑い)?ここはどういうところですか?
(笑い)ここは芸能人も行くっていうようなところで、昔出産をそこでしていたんですって。ただ石ころがあるだけなんですけど。「その石を触ると授かるよ」と聞いて行ったんですね。不妊のパワースポットっていうか。それで触って、そのガイドさんが「よくここに来る人は『3ヶ月後に妊娠しました』って報告がくるんだよね」なんて言っていて・・・・・・。そうしたら本当に3ヶ月後に(笑い)。
こちらの
あったと思います(笑い)。
ハワイまで行かないといけないですねー(笑い)。
まあ、不妊治療を頑張るために自分たちへのご褒美ということでハワイへ。
治療のお休み期間の後に妊娠される方がわりと多いような気がしますね。
出生前診断(羊水検査)について
これだけ治療をしていたから、子供が障害を持っていて当たり前だろうと思ってましたね。点滴もしているし・・・・・・。それに体外受精もしているし、一般の人にくらべてちょっとだけリスクは高いと説明会で受けていて・・・・・・。障害を持っていても私たちの所に来てくれたのだったら育てる・・・・・・だから羊水検査もしなかった・・・・・・。
これはご夫婦で決めた?
そうですね。でもこの間43歳の方が羊水検査したんですって。「なんでやったの?」って聞いたら、やっぱり「覚悟が必要だ」っていうのと、それに「43歳という年齢で産んで、障害があったら誰がこの子の面倒をみるのか、自分たちしかいないから、世間はキレイ事でいうかもしれないけど、育てる親としてできることは検査することで早くわかってあげることだ」っていうようなことを聞いて、そういう考え方もあるんだなと。
確かに夫婦が同じ意見とも限らないですし、あと43歳になると親から検査をすすめられるということもありますよね。
たしかに。私の父親は検査したらって言ってました。叔母が障害者なんですね。父親が大変な思いをしているので、「障害を持つことがどれだけ大変なことかをわかっているのか?」ということなんだと思いますね。
治療のやめどき
治療を開始する時点で治療の止め時っていうのは考えてましたか?
まさか「人工授精するの?」って人工授精ですらびっくりしていたんです。(赤ちゃんが)できるだろうと思っていたので、できた時が止め時というように安易に考えてましたね。(不妊治療を)やっているうちに「絶対に(赤ちゃんが)欲しい」と思うようになって、できるまでやると・・・・・・。本当にあきらめたら終わりだから、やれることはやろうと思うようになってましたね。もともと負けず嫌いなので、生理が来るうちはやめないんだろうなって。
長い道のりでしたけど、もっと頑張れた?
もっと早く気づいていれば二人目、三人目とかいけたと思うんですけど。母が精神的にも金銭的にも援助してくれたので・・・・・・
治療費を捻出するっていうのは大変でしたよね。
私の収入が微々たるもので、主人の収入も高い方ではないので、自分の貯金を崩してやってましたね。あと助成金で。助かりましたね。ありがたいです。
不妊治療に対しての考え方の変化
治療の開始の時と治療期間後半では不妊治療の考え方は変わりましたか?
変わりましたね~。使えるものは使う。まだ医療で授かるのに抵抗がある方がいらっしゃると思うんですけど・・・・・・、いやいやいや、そんな良い技術があるなら使ったほうがいいと。人工授精とか抵抗があったのが、今では全くないので(笑い)。医療の力を借りるのが近道だと思いますね。
考え方の変化のポイントなんてありましたか?
いやー、子供ができるものだと思っていたのが、医療の力を借りないと(子供が)できない体なんだと自分で認めたんですよね。(自然にできるという考えを)振り切ったというか・・・・・・、抵抗がなくなった。
こうすればもっと早く妊娠・出産できたかもしれないなんていう思いはありますか?
自然と子供ができる自信があったので、結婚して夫婦二人だけで楽しむ時間をとったのですけど、この二人で楽しんでいる時間をあと1年くらい短くして、子作り頑張ればよかったのかなって(笑い)。そうしたら卵子の状態ももっと良かったのかもしれないなと。
鍼灸院
うちのサロンに来てくださいましたが、その時、鍼灸治療は初めてだったんですか?
いえ、他のところに行ってました。ただ男性の先生だったので少し抵抗がありました。それで・・・・・・ピンクのフリフリのパジャマを着るところで、それがちょっと抵抗があったんですよ、毎回(笑い)。
そこではどんな治療でした?
治療部分は背中とお腹。簡易的な感じ。月に2回位。
早くから鍼灸治療、東洋医学に関心を?
そうですね。何か少しでも他にできることはないかと思って・・・・・・。
うちのサロンが役に立った点ってありますか?
こちらでXクリニックの話を聞いて良かった。あとここに来て、愚痴を言って「うんうん」と言っていただけるだけで良かった、私は相談相手があまりいなかったので。それに「頑張ってるね」とよく褒めてくれて「私頑張っているんだ。よし頑張ろう」とすごい励みになりましたね。アドバイスとかよりも同感していただいたことが励みになって、その中でも「こういうのもいいよ」って(アドバイスがあって)、それで自分の中にスンナリ入ってきたのかな。
体の変化とかは?
自覚症状はなかったですが、宮城さんにお腹を触ってもらって「柔らかくなってきたから(妊娠)イケるかも」と言ってくれた時に本当に妊娠できたんですよね。
お腹は変化が一番わかりやすいところですからね。こちらに来ていた頻度は?
私にしたら(治療代の)5千円は高いので、「このくらいの時に来たらいいんじゃない?」と言われた日にスポットで。
胎嚢を確認できてまでですね。入院しちゃったんですよね。
そうそう、来れなかったんですよ。
不妊治療をする鍼灸院に求めるものはありますか?
情報とか・・・・・・メンタルケア・・・・・・。何が大変ってやっぱりメンタルだと思うんですよね。お金も大変だと思うけど、お金はあとからついてくるけど、精神的って本当にその時その時で精一杯だと思うので、メンタルケア・・・・・・そこはありがったですね。そういうのを引き続き・・・・・・(笑い)。
これから不妊治療をする方へ
出産後に振り返ってみてクリニックを選ぶポイントってありますか?
ステップアップですよね。やっぱり実績と評判と・・・・・・先生の相性。
これから不妊治療に通う方に知ってもらいたいこと、メッセージやアドバイスなどはありますか?
エラそうなことは言えませんね・・・・・・。不妊治療を始めるのってまるで壮大なことが始まるんじゃないかってイメージがあるんですが、ちょっと肩を押してもらうことが力になるので。。。お家のなかで「また生理がきちゃった・・・・・・」と一人で落ち込むよりは、こういう所に来て背中をポンと押してもらうのがいいですよね。みんな閉じこもっちゃうと思うんですよね。「こういうことで妊娠したんですよ」と話を聞くことで私は周りがひらけたんですよね。「このくらいの(歳の)方が採卵できたんですよ」とか聞いて前向きになった感じなんですよね。ドアをちょっとノックしてみて・・・・・・やってみて合わなかったらやめればいい話ですよね。
その後の育児
その後育児は?
育児ノイローゼっていうか、自宅でも安静の生活だったので・・・・・・産後クライシスっていうんですか、あれに見事にかかりましたけど、今ようやく落ち着きました。
大変でした?
ずっと泣いて泣いて。ちょっとおかしくなってました。完璧主義者の人ほどそうなるって聞きますけど、私それほどってわけじゃないんですけどね(笑い)。本当に妊娠・出産がゴールじゃないですね。新たなスタートですね。(治療の軌跡を書いた用紙を指差しながら)この時は授かるだけで十分だったので・・・・・・。
「つわりもうらやましい」っておっしゃってましたよね。
本当に。実際になってみると「ふざけんな!」ですよね(笑い)。私は授かれただけで奇跡でした。
今日は長いお時間ありがとうございました!
聞き手の感想
お子さんを欲しいと思ってから、授かるまでに4年かかった篠塚さん。タイミング法にて2年、AIH 5回、IVF 7回の間に採卵した卵の数は合計18個。そのうち1つだけ育った分割胚を初移植して着床→妊娠→出産となりました。
初診時に初めて篠塚さんからいただいたメールには「先月病院にて手の施しようがないと言われてしまいました。体外受精をしても受精卵になりません。治療費もかかり精神的にも参りましたが、やっと前向きになれたので、あきらめずに出来ることはやろうと思い始めました。」とありました。
まさにあきらめずに夫婦二人三脚で治療に向き合ってきたからこその奇跡ですね。当院では初来院から妊娠まで10ヶ月 妊娠まで月2回のペースで計22回の治療を行いました。