不安と葛藤,移植9回目で初妊娠
不妊症(不育症)治療・出産体験インタビュー
湧き上がる不安と葛藤のなか、移植を9回繰り返して妊娠・出産できた事例
回答者プロフィール・治療歴
遠野さん(仮名)
神奈川県川崎市 38歳 結婚 9年目 ※出産時
2011年 | |
春 | 自然妊娠を試みる(35歳) |
8月 | AMH検査、数値が低いことが判明。その他精密検査の結果、片方の卵管が通っていないことが判明。不妊治療を始める。(当時、子宮筋腫、子宮内膜症も持っていた) |
10月 | AIH1回目 |
11月 | AIH2回目、クリニックからIVFを勧められる |
2012年 | |
1月 | 仕事を辞める |
2月 | IVF1回目(Hmg)、採卵1コ→分割胚凍結 |
4月 | IVF2回目(アンタゴニスト)、4コ採卵→1コ胚盤胞凍結 |
6月 | IVF3回目(cc法)、1コ採卵→分割胚凍結 vvB初診 |
9月 | 移植1回目(分割胚) |
10月 | 移植2回目(胚盤胞) |
12月 | 移植3回目(分割胚) |
2013年 | |
1月 | 仕事(パートタイム)を始める IVF4回目(アンタゴニスト)、4コ採卵→1コ胚盤胞凍結 |
2月 | 移植4回目(胚盤胞) |
3月 | IVF5回目(cc、アンタゴニスト)、5コ採卵→2コ胚盤胞凍結 |
6月 | カルテ:この周期は見送り、卵巣の腫れ、内膜厚くならず |
7月 | 移植5回目(胚盤胞) |
9月 | 移植6回目(胚盤胞) Mクリニックへ転院、合併症(筋腫)があるため、妊娠した時に受け入れてくれる病院を事前に探すよう指示を受ける。 大学病院の産科で精密検査、多発性の筋腫があるが受け入れ可能との回答を得る、手術するかこのまま不妊治療を続けるか検討。手術は半年先になること、また転院したばかりなのでこのまま治療を継続することになった。 |
10月 | IVF6回目 1コ採卵→1コ分割胚凍結 |
11月 | IVF7回目 1コ採卵→1コ胚盤胞凍結 移植7回目(分割胚) |
12月 | 移植8回目(胚盤胞) IVF8回目 1コ採卵→1コ胚盤胞凍結 |
2014年 | |
2月 | 移植9回目(胚盤胞)、妊娠 |
10月 | 出産、約2800g 年齢38歳 |
インタビュー本文
インタビュー日時 2016年6月
◆…聞き手
はじめに
ではインタビューを始めさせていただきます。アンケート用紙にビッシリたくさんお答えくださいましてありがとうございます。
自分でもあらためて「あぁ、頑張ったなぁ」と思います(笑い)。
本当によく頑張りましたよね。
不妊治療開始
ご結婚はいつ頃されましたか?
29歳です。
結婚してすぐはお子さんを欲しいとは思わなかった?
結婚した当初は主人も私も仕事が忙しかったので「しばらくしてからでいいかな」と思っていて……。35歳を過ぎて「ちょっとそろそろ」と自然(妊娠)で何回かチャレンジしたけど(妊娠)できなかった。学生の頃から生理痛で通院していたAクリニックで「ピルを飲みますか?子供は欲しいの?」みたいなことを言われた時に「欲しいです」って言ったら「すぐに(不妊治療を)やった方がいいよ」といったようなことを言われたんです。
それで自然妊娠を望んでタイミング療法を始めたと。
はい、基礎体温を測って排卵チェッカーを使ってするくらいですかね。
その後に病院で検査をしたんですね?
春から自然妊娠を試みてうまくいかないので、病院の先生に「一回検査を受けましょう」と言われて夏に検査を受けました。
この時はAMHの検査、卵管造影検査をされてますが、AMHの値は覚えていますか?
たしかとても低かった。42歳くらいの値。一桁でしたね。
検査で卵管が片方通っていないことがわかって、それですぐにAIHに進んだんですか?
そうですね、先生に「始めるならすぐにやった方がいいですよ」と。子宮筋腫も子宮内膜症もあったので。
この時、ご主人にすぐに相談はされましたか?
はい、一緒に病院に行ってくれて。
ご主人は治療に対してどんなスタンスでしたか?
特に嫌がらず、わりと積極的で協力的に。
人工授精の時はご主人の精子は持ち込みでしたか?
人工授精の時は2回とも持ち込みだったと思います。
その人工授精は2回でやめていますよね。それはどうしてですか?
先生から「あんまり長く続けても意味がないから、早く次のステップに行きましょう」くらいに言われて。《あれよあれよ》という感じでそのまま次に進んだ感じですね。
一般的に治療を経験した皆さんは人工授精から体外受精にステップアップする時に「抵抗を感じた」とおっしゃいますが、遠野さんの場合はいかがでしたか?
今振り返ってみてすごく良かったと思うのは、その先生がわりと積極的に体外受精をすすめる先生だったことですね。治療開始当時は体外受精なんてとても考えていない、むしろ考えたくないという感じで、自分の意思ではなかなか体外受精にステップアップできなかったと思うんですよね。自分の中でハードルを高くあげちゃっていたと思うんです。先生の方で私にあまり考える余地を与えずに言ってくれたことが逆によかったと思います。「次の体外受精の説明会の予約をとっていってください」と。
体外受精にステップアップすることになってご主人はどんな反応をされましたか?
特に何も。夫も8つ年上だったんですが《自分が原因だったらどうしよう?》《何か治療をできるんだったら早くやっていこう》という気持ちがあったんじゃないかと思います。
退職
体外受精にステップアップするタイミングで退職されています。もともと仕事は忙しかったんですか?
そうですね。外に出る仕事もあったので、人工授精をしている時でさえもなかなか予定が……。突然治療の日が決まるので、それにあわせて仕事のアポイントメントとかある日に重なっちゃったら《どうしよう……》というのもありましたし、さらに体外受精に進んだら通院の回数も増えていくし、病院に行く日も突然決まるだろうし、仕事にどうしても影響がでるだろうと思って。《仕事を辞めて専念するしかないな》と思って辞めました。とても職場にそういう風に言うっていうのもできなかったので。
辞める時はどういう理由で?
全く治療のことには触れずに普通に「次、別の仕事をする」とか(笑い)。正直、仮病をつかって通院してたりとか、生理痛が重いとか言って休んでたりっていうのを何回かやっていたので。《もう両立は無理だな》と。
体外受精
それで体外受精を始められたのですが、この時の体外受精は、すぐに移植をしないで採卵を何回か続けてやっていらっしゃるんですよね?
なんかその時はもっと楽に妊娠できると思っていて、子どもは二人くらい欲しいという気持ちもあったので《卵をたくさん作ってからどんどんと使っていって妊娠して、まだ受精卵が余ってる段階で二人目も将来的にできればいいな》なんて甘い考えで。AMHの値がすごく低いっていうことで「生理が止まっちゃったらどうしよう」っていう焦りの気持ちで切羽詰まったものを感じていて。それが一番大きかったかな。それで採卵を何回か積み重ねたいという気持ちがありました。
保険のような?
うんうん、そうですね。
病院によっては卵の採り溜めを推奨しないところもありますけど。先生からの意見は何かありましたか?
うーん、ちょっと記憶がないんですけど……。ただ治療の段階で、凍結胚でうまくいかないから「新鮮胚で戻してみましょうか」と途中で提案されたことはあったと思います。結局その時は子宮内膜が薄かったりしてここの病院ではやらなかったですね。
体外受精は顕微授精でしたか、振りかけでしたか?
全部顕微授精ですね。
顕微受精にした理由は?
もともとは振りかけのつもりで行ったんですけど、当日、採ってみた精子の運動率が良くなくって。いろいろ悩みましたけど、確率が高い方ということで顕微授精にしました。
当時ご主人の仕事が忙しかったというのはありますか?
仕事が不規則というのはありますけど、特にこれっていう理由はなかったと思いますね。
最初の病院では毎回排卵誘発の方法を変えていますね。これに理由は?
これは病院の方で「こうしましょう」と言われてやったことで……ちょっとすみません、覚えていません。
担当の先生はずっと同じでしたか?
はい、この時先生は一緒でしたね。
当院に来院
この頃に当院に初診で来てくださっているんですね。それまで鍼のご経験はありましたか?
初めてでした。
鍼灸治療をしてみようと思ったのは?
不妊治療をしている人の情報で鍼がいいと聞いてましたし、もともと冷え性もあったのでそれを改善したいなというのもあって。
不妊治療のために鍼灸治療以外に何か通っていたものなどありますか?
不定期ですけど、骨盤矯正とか……4,5回かな。うーん、続かなかったですね。
移植を繰り返しても良い結果が出ず
2012年7月、8月、この時は薬を使ったけども子宮内膜が薄かったということで移植が見送りになっているんですよね。クリニックの方では移植するための子宮内膜の厚さを重視していたんですね?
(後で転院する)Mクリニックではほとんど何も言われなかったですけど、ここでは子宮内膜が薄いと「今回はやめたほうがいい」ということはありました。
それで9、11、12月と移植して結果が出ませんでしたが、この時はどんな気持ちになりましたか?
いやーもう辛かったですね。なんかもう毎回、最寄りの駅で……暑い時期でサングラスと帽子を被っていたんですけど……駅で涙を流していましたね。今、思い出しただけで涙がホント……なんか絶望的な……今思えばまだこの先長く続く(不妊治療の)序の口だったんですけど、すぐにできたらいいなという気持ち、期待感が強かった分、その落差が辛かったですね。
この時はご夫婦で話し合ったこととかはありますか?
主人には「別に僕は子どもができなくても二人の人生でもいいんだからね」と再三言ってくれたりして励ましてもらっていたんですけど、主人も治療の当事者じゃないですか。今思うと、当事者である夫にも自分の気持ちは全部言えてはいなかったのかなと思いますね。このAクリニックさんはカウンセラーの看護師さんがいらっしゃって、ときどき二人で話を聴いてくださってすごく助かりました。そのカウンセラーさんに一番相談にのっていただいたような気がします。
Aクリニックのカウンセリングは予約をとって受けるのですか?
そうですね、予約制でもあったけど、よく私、治療中に(妊娠判定の)結果とか出て、先生と話をしていて泣いちゃう時があって、そういう時に先生が「隣(の部屋)で話していらっしゃい」と言って、私が吐き出す気持ちを看護師さんが聴いてくださったりして。
ほかに相談相手は……
そのカウンセラーさんだけでしたね。私は友達にも親にも一切言えてなかったので。
言わなかったのは心配されてしまうから?
そうですね。この辛さ、同じ思いを誰かに背負わせたくないなという気持ちがあるのと、親には心配をかけたくなかったので……。
仕事を始める
2013年1月にパートでお仕事を始めていらっしゃいますよね。これはどうして?
治療で1年間仕事をしていなかったのですけど、今振り返ると”仕事を犠牲にして治療に専念している自分”に甘えてた……うーん、なんていうんでしょう……治療だけしていることでそれ以外の努力が足りなかった……《治療に専念しているんだから(赤ちゃんを)授かるんだろう》という思い……甘えというか、食生活とか運動とかもっと毎日ちゃんとすることを心がけて生活するっていうことがあまりできていなかったと思うんです。時々はするんですけど定期的にはできていなかった。《全部治療に時間を使っているんだ》っていうことに満足しちゃっている自分がいて……。仕事はパートタイムだったし、友達が紹介してくれたこともあったので、時間の融通もきくし。もう1年経って煮詰まっている時期でもあったので、気分転換も兼ねてっていう感じで始めました。
以前やっていたのと同じような仕事でしたか?
全く違うものでした。
仕事を始めてどうでしたか?
やっぱりよかったですね。はい。すごく気分転換になりました。通院で出勤が遅れたり休んだりしてご迷惑をかけた部分もあったんですが、パートタイムだったのであまりストレスなく割りきって。生活のメリハリを少しずつ取り戻せたのかなと思いますね。朝、同じ時間に起きて仕事に行って外の人と触れ合えて帰ってきてっていうことが気分転換になったと思います。
採卵に対しての考え方の変化
仕事を再開した同じ月に、4回目の体外受精をされています。
卵をためてっていう方法でうまくいかなくて、このへんでたぶん考え方も変わってきました。やっぱりもう何よりも妊娠することが最優先ということに。「たくさん卵をとって、いい卵を一番最後にとっておいて悪い卵から戻していく、いい卵がもったいなくて使えなくなっちゃう人もいるらしい」っていう話をカウンセラーの人から聞いて……。でも気持ちがわかりますよね。「それ(いい胚)を使っちゃったら最後だ」という気持ちで使えない人がいる。自分もそういう方法でうまくいかなかったからこそ納得して方法を変えることができたんだと思いますね。自分が経験して納得しないと難しいなと思いますね。
理屈ではわかっていても……。
そうですね。初めての体験ですしね。
5回目の移植の前は採卵から4ヶ月空いているんですよね。この時、卵巣の腫れ、子宮内膜が厚くならなかったんですよね。
そうです、あと、ここ(治療歴を書いた記入用紙)に書いていないんですけど、治療し過ぎのせいか、良性だったんですけど子宮内膜にポリープができて、それをとる治療もこの期間にしています。
ポリープの治療は不妊治療をしていたAクリニックですることができたんですか?
はい、麻酔をかけて子宮を広げてやりました。
不妊治療開始から2年経って
6回目の移植は9月、この時で不妊治療開始から丸2年経ってますが、治療中、不妊治療に対しての価値観や考え方に変化はありましたか?
もっと早く(赤ちゃんが)できると思っていたしそう信じていたので《できなかったらもうどうしよう》っていう気持ちが強かったです。《体外受精、顕微受精なんて考えられない、そこまでして子どもを作りたいのかな》と思っていたんですけど、だんだん治療をしていくうちにハードルが低くなるというか……。よく海外で妊娠される方がいらっしゃいますけど、私も《このまま誰にも言わずに海外に行って、一年後に子どもができたって言って帰ってこられたらどんなにいいかな》とか、そういうことまで考えるようになってましたね。そう考える自分がちょっと怖いという気持ちもありましたね。
いろんな手段を考えちゃう。
そうですね。体外受精って肉体的な夫婦関係がなくても子どもができちゃうじゃないですか。それはなんか怖いなという気持ちもありました。仮に夫婦関係が冷えきっていても子どもはできちゃう。自然妊娠で授かるのと不妊治療で授かるのとはなにかちょっと違うのかなと……。
Mクリニックへ転院
Aクリニックは薬を結構使うんです。(あとでいく)Mクリニックではほとんど使わないですよね。この薬による精神的な辛さがあったんじゃないかと思います。筋肉注射とかで体もむくんだりとかあって、座薬とか……。精神的にもダメージがあって《キテたな》と今思いますね。
6回目の移植の前に「移植がダメだったらMクリニックに転院する」とおっしゃっていたとカルテに書いてあります。
転院というのはあまり考えていなかったし、(Aクリニックには)カウンセラーの方とかもいてなんとなく信頼関係もあって、病院には申し訳ない気持ちがあったんですけど……。ここ(当院)で治療の際に他の患者さんの話をしてくださったりして、その時「遠野さんは転院を考えないんですか?」とポロッと言われたことが結構私にとっては衝撃的だった。《そういう考え方もあるんだ》と思って、そこでこちらで治療をされている患者さんが転院したお話とかを色々と聴かせていただいたんです。それでAクリニックのカウンセラーの方に相談してみたんです。《引き止められるかな》って思ってたら、そうしたら「それも一つの考え方だと思います」「もしも自分だったらそういうことも考えるかもしれない」と言ってくださったんですね。それを聞いて《本当に私のことを考えてくれているんだ》って思って、それが私にはすごく嬉しくって。
Aクリニックではカウンセラーさんもいたことで私は精神的にすごく甘えていたと思ったんです。(転院する)Mクリニックの評判をインターネットのブログをやられている方の情報でたくさん読むと「殺伐としている」「先生がコロコロと替わる」「先生が怖くて質問もしづらい」とか厳しくて。体外受精をしている方のまるで最後の砦のような病院じゃないですか。そういった厳しい環境にあえて身をおいて自分を追い込んで《そこでダメだったらあきらめもつくのかな》という気持ちもあって……。「とにかくいい卵に出会うことなんだけど、環境を変えてみることも大切ですよ」と言われたのと、あと「このAクリニックからMクリニックに転院されている方は全員妊娠している」と聞いたんですよ。
Mクリニックに転院した方が全員妊娠していると?
そうそう、逆に《その例から漏れちゃうとすごく嫌だな》という怖さもあったんですけど(笑い)。「Mクリニックは厳しいけど、とにかく大きな病院で実績もある。わりと画一的な治療になるかもしれないけど、経験値が豊富だからそこはいいと思います」というお話と、あと「培養士さんも人数が多いし技術は高いと思います」とすごく言ってくださって。”最後の病院”という気持ちで転院しましたね。「Mクリニックではカウンセラーはいないけど、もしよかったらカウンセリングはここで続けていいよ」ということも言ってくださって。それでMクリニックに予約を入れました。
実際Mクリニックに行ってみて、聞いていた話と違いはありましたか?
もちろん先生方はサバサバしていましたけど、それはある程度覚悟できていたことでしたし、ブログで読んでいたほど敷居は高くなかった。それよりもとにかく患者さんの数が多かったのと、自分よりも年齢が高そうな人がすごくいっぱいいらっしゃってすごい励まされたというか。見るからに高齢の方もいらっしゃるので切実さも感じました。自分の中では「(治療を始めて)もう2年……」という気持ちで行ったんですけど、スーツケースを持って遠方から来院してるような方もいらっしゃって、すごく奮い立たされて「まだまだ自分は序の口、頑張らなきゃ」という気持ちになりました。
身の引き締まる思いだった?
そうですね、まさにそうです。
Mクリニックに転院してすぐ、筋腫があるためにすぐ産科を探すように言われてますね。
これもまた衝撃的だったんです。初診の時に、「筋腫がかなりあるから、そういう合併症がある患者さんは、高齢だし妊娠したとしても受け入れてくれる産婦人科がないかもしれないから、まずは受け入れてくれる病院のアテをつけてくるように」と言われたんですよね。その時はもう焦っちゃって。最寄りのS病院が総合病院だったので、そこで精密検査を受けたんですよね。
MRIをとったら多発性の小さい筋腫がたくさんあって、画面を見せてもらったら結構衝撃的で……。愕然となって、その時には口にしなかったけれど夫も私も「これはもう妊娠できないじゃないかな」と思いました。今まで超音波の検査だと大きい筋腫が2,3個くらいしかせいぜい言われなくて。「筋腫は不妊症の原因の大きな一つだけど、手術をするか不妊治療を続けるか」ということを先生に突きつけられて……。開腹手術だとそのあとの腸閉塞とかが怖いから私の場合は腹腔鏡手術になるけど、ただ「全部取りきれるかわからないし、また小さい筋腫はできてくる」「手術をしたとしても妊娠できるかどうかはわからない」「手術自体の予約がもう半年くらい先になる」と言われて……。結局「筋腫があっても妊娠したらうちで出産可能です」という文書も書いてもらって、不妊治療を続けることになりました。
文書を書いてもらった?
そうなんです。Mクリニックであとで文書をもってくるように言われて。
6回目の体外受精(採卵)
体外受精6回目は分割胚を凍結しているんですよね?
そうなんです。本当はMクリニックでは新鮮胚を戻すんですよね。Mクリニックは先生が替わるじゃないですか。それで何か行き違いがあったみたいで……。この時私はすごい不満に思ったんですけど。S病院で検査して受け入れ可能という結果を伝えたら「移植は文書をもらってからにしましょう」と言われて、急遽、分割胚を凍結することになったんです。
その後の2回も胚を凍結されてますね。一度もMクリニックでは新鮮胚を戻さなかった?
そうですね。この病院では新鮮胚をみなさん一度は戻すという話だったみたいだったんですけど……、最初の移植がコケちゃったということで、それで新鮮胚を戻すということはしなかったんですかね。
Mクリニックでは珍しいケースですね。排卵誘発方法は?
点鼻薬だけだったと思います。あとはお尻に、えーと……。
排卵しないようにするためのボルタレン?
そうです、そうです。
点鼻薬も排卵をおさえる効果があるので排卵誘発剤を使わずに自然周期だったということですね。
血液検査の結果とか、何も問題を言われなかったような気がします。
妊娠
翌年の2月に凍結胚盤胞を移植して陽性の反応がでて妊娠しました。その時の気持ちを今でも覚えていらっしゃいますか?
いやーもう、嬉しかったですね。その時はとにかく「バンザイ、バンザイ、バンザイ!」万歳三唱で(笑い)。
ご主人の反応は?
喜んでいましたけども……ただやっぱりまだ手放しでは喜べないみたいな気持ちが二人にあって、それで話が盛り上がるということにはならなかったですね。
それで心拍確認前に大量出血があったんですよね。
そうそうそうそう、「あーもうダメだー」と絶望的に思って、すぐに病院に連絡したら「明日来てください」と。地獄にいるような感じで行ったら、その日に心拍確認できて出血も一日でおさまって。
出血の理由を病院は言ってましたか?
よくあることだそうですよね……
絨毛膜下血腫(じゅうもうまくかけっしゅ)ですか?
そうそう、そうです。先生には「だから心配しなくていいよ」とか。もう次には「病院の紹介状を書く」とMクリニック卒業の話になって。
Mクリニックを卒業したのが9週。この時は仕事はまだ続けていましたか?
出血した後、Mクリニックで「仕事を続けていて大丈夫ですか?」と訊いたら「大丈夫ですよ。安静にしていてもダメな人はダメだし、心配だったら診断書を書きますよ」と言われました。せっかく妊娠したんだし《もし安静にしていてもダメだったらそれは納得できる》と思って、診断書を書いてもらって、つわりもひどくなったので辞めました。つわりも終わるまでずっと不安でしたね。安定期になって初めて、妊娠した喜びを感じることができるようになりました。
不妊治療の負担
採卵が8回で移植が9回。不妊治療の経済的、また精神的な負担は大きかったですか?
正直経済的には、どれくらいかかったのかっていうのを計算しちゃうと治療をするのが嫌になってしまうので、うちは計算しなかったんです。どれくらいかかったのか今でもよくわかっていないくらいで……。精神的には……つらかったですね……。
治療のやめどきっていうのは考えたことはありましたか?
うーん、《いつまでやればいいのか》っていう思いはありましたけど《やめたら授かれない》という思いがありましたので。特にいつまでっていうのは考えませんでしたね。
ご主人とはそういう話は?
しなかったですね。
振り返ってみて
こうすればもっと早く妊娠できたかもしれないという思いはありますか?
Mクリニックに行って(体外受精)3回目でできたじゃないですか。それを思うと《早くMクリニックに行っておけばできたんじゃないか》という思いも正直な所ありますね。ただ最初からあの殺伐とした雰囲気の病院に行って、できなかったら私の精神力がもったかいうと、それはそれでちょっとたぶん気持ちの方が……。
最後に不妊治療を行っている方にメッセージはありますか?
不妊治療中、体にいい食生活のこととかいろいろな情報を知って、それを考えすぎていっぱいいっぱいになっちゃって逆に毎日の生活が疎かになったところがあったのかもしれないので、あまり考え過ぎずに毎日の丁寧な生活の積み重ねをすることが大切ではないかと思います。
あと、私は最初の期待が強かった分、途中からは自分ががっかりしないように、判定結果を聞くときに「どうせ今回もダメだな」という気持ちで行っていたんですね。卵は頑張ってくれているのに自分が信じてあげられないと……”自分だけは赤ちゃんのことを信じてあげる”― そういう気持ちで治療をしていって欲しいと思います。
最近は治療をしている方同士でコミュニティを作ったりとかあるみたいですけど、私はそういうのはしていなくて、他に相談する人もいなかったので、ここ(当院)で他の治療をしている方の色々な事例を聞けて良かった。「ここまでやった人もいるんだから」という私の経験もぜひ話していただければ嬉しいです。
貴重なお話ありがとうございました。
ご主人様からのアンケートのご回答
治療中も、今も、全てが巡り合わせだったというふうに感じています。先生との出会い、授からなかったこと、ようやく授かり目の前に我が子がいることなど……。一つ一つが巡りあわせなんだと受け止めることが大切なのではと思います。
ご回答ありがとうございました。
聞き手の感想
遠野さんは、2012年6月からおよそ2週に一度の間隔で、ご出産直前までの約2年強の間、当院に通院してくださいました。ご来院の際はいつも笑顔でいらっしゃいました。不妊治療中は不安や葛藤があるなか、ご家族や周りに「心配をかけてはいけない」と治療については限られた方にしか相談できなかったようです。貴重なご経験が、今現在同じお悩みを抱えていらっしゃる方の励みになるのではないかと思います。「一つ一つが巡り合わせと受け止める」というご主人の力強いお言葉はとても心に響きました。