是非を考えながらの不妊治療
不妊症(不育症)治療・出産体験インタビュー
不妊治療の是非も考えつつ、体外受精の回数のメドをつけるなか妊娠・出産に至った事例
回答者プロフィール・治療歴
前野さん(仮名)
東京都世田谷区 36歳 結婚 4年目 ※出産時
2012年 | |
5月 | Yクリニックで検査、AMH値が低いことを知る |
夏 | 産婦人科でタイミングをとるも妊娠せず |
2013年 | |
3月 | 初めてのIVF 1個採卵・移植したが着床せず |
夏 | 採卵→空胞 |
9月 | 採卵→変性卵 |
10月 | Pクリニックに転院 |
10月 | 採卵→空胞 |
2014年 | |
2月 | 採卵 |
3月 | 新鮮胚移植 着床せず |
4月 | 採卵→胚盤胞 |
5月 | 胚盤胞移植→妊娠 |
2015年 | |
2月 | 帝王切開にて出産(40週) |
インタビュー本文
インタビュー日時 2016年6月
◆…聞き手
あいさつ
よろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いいたします。
ご結婚が33歳、病院に行ったのはいつ頃でしょうか?
1年くらい経ってからですかね。なんとなくできるかなと思っていたらできなかったので。ちょうど卵子の老化とか言われていたので、そういえばチェックしてなかったから調べようと、軽い気持ちだったと思います。
その卵子の老化というのはどちらで?
それはテレビとか新聞とか友達とかでいろいろと。年齢は当てはまるけど、それでも自分に「関係あるのかなぁ」くらいで。
この時最初にYクリニックに行っていらっしゃいますが、そこを選んだ理由は?
近所で調べたらYクリニックが出て、一番近くだったし評判も良かったので選びました。
インターネットで調べましたか?
はい、まだ不妊治療をすると思っていなかったので、たしか「不妊検査」「ブライダルチェック」のような言葉で探したと思います。念のため検査を受けるという気分だったと思います。「なんでもない」と言われて安心したかったかもしれないですね。ただもし問題があるのだったら早く治療をした方がいいのかな、とは思っていました。
検査に行ってみることに対してご主人の反応は?
「ふーん、行くんだ。別に行かなくてもいいんじゃない?」というくらいの感じでしたね。
それで不妊治療をすることになって最初はタイミング療法からされています。どのくらいタイミング療法を続けましたか?
検査してAMHの値が低い(1.0未満)ことがわかって、タイミングは「念のためとります」というくらいで、たしか3回くらいだっと思います。
「不妊治療を受けることに迷いがあった」とこのインタビューの事前質問票に答えていらっしゃいます。どんな迷いですか?
やっぱりこわいし。《妊娠するために本当に治療をやる必要があるのか》とか、《治療は本当に妊娠するためにいいのか、逆に治療することで体を悪くするんじゃないか》とかいろいろとありました。
タイミングから体外受精にステップアップ
先生には体外受精をどんなふうにすすめられましたか?
「AMHの値が低いのであんまり人工授精をしても意味がないから、タイミング療法がダメだったらすぐに体外受精にステップアップをしたほうがいいです」と言われたんです。それがすごいショックだったんです。《体外受精は人工授精よりもすごく大変だな》と思っていたので《そこまでやって妊娠できなかったらショックだな》と。《そもそもそこまでしないといけないのか、そこまでして子供が欲しいのか、倫理的にはどうなんだろう?》とかいろいろと考えて……。先生は「自然妊娠と体外受精の違いは卵管を通すか、通さないで妊娠するかくらいの違いであって、妊娠しやすいのであれば体外受精した方がいいですよ」とおっしゃっていたんですけど、それでも結構悩んでしなかったですね。体外受精に踏み切るのは半年くらいだったかな。《もしかしたら妊娠するかもしれない》と様子を見てましたね。
ご主人は体外受精に対してどうお考えだったんでしょう?
私のほうが積極的に「体外受精をしたい」と言ってたんですけど、夫の方は「自分は何となくできる気がする」と言ってたので。私のほうが焦ってましたね。
前野さんの歳(当時34歳)だと焦る方はそう多くないと思いますが、周りで不妊治療をされている方などがいらっしゃったのですか?
病院に通っている方はいたんですけど、まだ体外受精まではしていなくて。しようとしている人も他にいませんでしたね。ただ卵子の老化に詳しい友人がいて、その友人から「妊娠を望むんだったら早い方がいいけど、ただ不妊治療を始めるとやめられなくなるから、始める前に終わりを決めて、期間だったり金額とかを決めてやらないとどんどんつらくなるよ」と聞いたので、それを考えると逆になかなか踏ん切りがつかなかったですね。
そうすると、そのお友達が言うように終わり時を決めて体外受精を始めたのですか?
なんとなく、《1年間くらいは頑張ろうかな》と思ったんですけどでも、はっきり1年とは決めていなかったですね。体外受精を始めたらすぐ(赤ちゃんが)できるんじゃないかなと淡い期待を持っていたので《1年もかからないといいな》くらいに思っていました。友人のアドバイスで自分が頑張れるのは1年くらいと思っていたのはあります。病院をあとから変えた時は「3年くらいをメドに考えてもいいんじゃないか」と言われて3年まで延ばそうかなと思ったんですけど、自分としては3年はもたないかもと思っていました。
3年はもたないというのはどんな点で?
精神的にしんどいかなと。
実際、体外受精の治療でその「しんどい」と思う時ってありましたか?
採卵しようとしてもとれないことが2回続いて《あぁもう本当に子供ができないんだな……》と思って悲しかったですね。
そういう時に話せる相談相手っていらっしゃいましたか?
親しい友人にだけは言っていて、雑談の中で「しんどいんだよね」という話はしてましたし、夫には「つらい」と漏らしてましたね。
ご主人の質問票のお答えにもありましたもんね。「辛い思いをしている妻の様子を見るのが辛かった」と。
採卵
Yクリニックでの排卵誘発の方法は覚えていらっしゃいますか?
服薬と注射ですね。
注射は自己注射?
「自己注射もできる」って言われたんですけど怖くて通ってました。「3日にいっぺんくらい」来てくださいと。寒いなか注射に行って痛くて《しんどいな》と思ったのをよく覚えてるんですけど(笑い)。
採卵の方法は覚えていらっしゃいますか?
私の場合は「薬を使っても採卵できるのは最高でも3つくらいだろうから、麻酔しなくてもいいと思う」っていうふうに言われて、麻酔をかけなかったと思うんですけど、すごく痛かったのを覚えてます。
採卵後も痛みはありましたか?
精神的なものもあるかもしれないですけどチクチク痛い感じがしたのを覚えています。
精神的なもの?
そうですね。《ここまでしないといけないのかな、こういうふうにして赤ちゃんを産むのっていいのかな、本当はもっと自然なものじゃないのかな》と。何かどんよりとした気持ちになったのを覚えています。
サプリメント
Yクリニックでサプリメントをもらってますね。レスベラトロール。これはどういう経緯で?
私が焦っていて。30代前半なのに卵子の在庫が「40代前半くらいしかない」って聞いて、「なにかできることはありますか?」と聞いたら「今からできることはない」っていうふうに言われたんですが、「本当に何もないですか?」と再度聞いたら「じゃあこういうサプリメントもあります」と。若返りというよりも若く保つ成分が入っているということでした。勧められたというよりも私が訊いたんです。1ヶ月分で1万5千円くらいしたんですよね。
高いですよね。
そもそも高いなと思いましたし、効いているのか効いてないのかよくわからなかったので、結局1回しか購入しなかったし、しかも全部飲まなかった気がします。
もったいない(笑い)。
高かったから全部飲めばよかったんですけどね(笑い)。飲んでいる間に嫌な気持ちになったのかもしれないですね。
この頃、当帰芍薬散も飲んでいらっしゃいましたよね?
これもYクリニックで。保険のきく漢方薬でした。
鍼灸院
採卵を2回した後、2013年9月に当院に初診でいらっしゃっています。当院を選んだ理由は?
友人が不妊治療をブログとかで調べていて、こちらのことを知って「雰囲気良さそうだよ」と。あ、あとすっかり忘れていたんですけど、こちらに来る前に通っていた鍼灸院があったんですね。そこは確かに肩こりが治ったり、体調が良くなった気がしたんですけど、流れ作業のような気がして、カーテン一枚で男の人も女の人もいて。で鍼灸師さんが鍼をうっていくんですけど、10分、15分くらいで終わることもあれば、なんか体はもしかしたら効いているのかもしれないけど、あまりリラックスした感じにならなかったので。雰囲気がいいところで不妊治療に力を入れているところということでこちらに来てみたいなと思いました。
そこの治療院は不妊治療専門でしたか?
専門ではないんですけど勧められたんですね。そこに行く前に妊娠した友人からすすめられた女性の鍼灸師さんのところがあったんですけど、そこは遠かったのでその鍼灸師さんに「信頼できる鍼灸師さんで近いですよ」っていうことで紹介されたんですけども、ちょっと合わない感じがして、疲れるなと思ったので。
当院でお役に立てた点はありましたか?
それはあります。つらいなと思った時に話を聴いてくださったとか、「まだ若いから大丈夫だと思いますよ」とか。あと不妊治療のことも詳しかった。こちらでPクリニックをすすめられたから行ってみたっていうのはありますね。話を聴いてくださるだけじゃなくて「こういう方法もこういう例もあるみたいですよ」と情報を教えてくださるのは本当にありがたかったです。
ありがとうございます。そもそも鍼治療をしようと思ったキッカケは?もともと鍼のご経験がおありだったんですか?
はい、前からありました。不妊治療をずっとする前から、自律神経のせいか、なんか体調が良くない時があって、その時にすすめられた漢方院と鍼灸院の先生が親身になってくださって、体調もすごく改善したのを今も感謝しているくらい。鍼とか漢方には《何かあったらお世話になろう》と思ってました。
もともと鍼灸治療が身近だったんですね。不妊治療中、鍼治療をしていて感じたことはありましたか?
体に変化っていうのは自分自身であまり感じたことはないんですけど、こちらに来た後はとてもリラックスができて気持ちが楽になったっていうのは感じましたね。治療っていうよりもエステみたいなイメージだったのがよかったのかもしれないですね。元気になれる、そう、元気になれましたね。
転院
今から考えると病院のせいじゃないと思うんですが、採卵して変性卵が出た時には《この病院にいても(赤ちゃんが)できない気がする》と思って、もうPクリニックに行こうと思いましたね。
Pクリニックを選ぼうと思ったのは?
こちら(当院)で「(Pクリニックは)成功報酬型、あまり薬を使わない」と聞いていたのでそれは行ってみたいなと。薬を使うことに何か抵抗感があったので。それに実績もあるとも聞いたので、試すだけ試してみようと。
Pクリニックの印象は?
すごい人がたくさんいて、こんなに不妊症で悩んでいる人がいるんだと思ってびっくりしました。
Yクリニックとは違った?
Yクリニックは産婦人科もあって小さくはないんですけどまだアットホームな感じで。Pクリニックは「THE 病院」で(笑い)。
(笑い)
受付の人から看護師さんまで事務的な感じで。私はそれは嫌な感じはしなかったんですけど。みんな慣れているんだなと。
転院の時は紹介状を書いてもらったんですか?
特に書いてもらわなかったんですけど、Yクリニックでもらった検査結果を持っていきました。本来最初に受ける検査をいくつか免除された覚えがあります。
子宮卵管造影検査はしなかった?
Pクリニックではしなかったですね。
Pクリニックでは血液検査のデータを毎回出してくれると思うんですけど、以前のYクリニックでは?
したこともあると思うんですけどPクリニックみたいには採血しなかったですね。(Pクリニックでは)毎回毎回採血したのに対して、Yクリニックは内診が多かったと思うんです。卵胞がちゃんと膨らんでいるかどうかとか、タイミングをはかることが多かったので。
なるほど。それでそのホルモン値の結果、FSHの値は覚えていらっしゃいますか?
あー、ごめんなさい。覚えていないです。「高めですね」と言われたことは覚えています。「高いとはどういうことなんですか?」と訊いたら「卵巣の動きが悪くなっていて『頑張って』ってお尻を叩かれているみたいなホルモンだからこれは若い人にはあまり出ない、ムチを打っているようなものですよ」と。AMHは低いし、FSHは高いし、私ってあまり良くないんだなとちょっとブルーになったことは覚えています。
Pクリニックの先生に「AMHが低いのが気になっている」と言ったら、「AMHってのはあくまで卵子の在庫であって、確かにいい卵子から売れていくけども、でもあなたそんな10人も20人も子供が欲しいわけじゃないんだから、まず一人欲しいと思っているんだったら、極端な話、一つでも受精できて妊娠できればいいんだから、別にAMHが低いことは気にしなくてもいいと思うんですよね」と言われて少し気持ちが楽になったような気がしましたね。
Pクリニックで3年は治療を頑張ってみようと思ったのはどうして?
どの先生だったかは覚えていないんですけど、私の年齢といろいろなホルモン値からいって「だいたいどれくらい続ければ妊娠が望めますか?」と訊いたら、病院のテーブルに貼られていた年齢とホルモン値の関係のグラフを指し示されて「あなたはここにいるのでだいたい8回やれば8割妊娠する」と言われたんですね。Pクリニックはいろいろデータ化されているんですよね。「8割」って高いなと思ったんです。8回やってダメだったらもうあきらめようと思いましたけど、でも《8回は続かないだろうな》という気持ちと、実際、8回やってもダメだったらどうしようかというはありましたね。8回ってすごく具体的な数字だった……
それが目安になったわけですね。
はい、そう言ってくれる先生で、それを聞けてよかったと思いましたね。
Pクリニックは先生が替わりますが、そういったように言ってくれる先生ばかりなんでしょうか。
「こればっかりは自分たちのような医者でもわからない」「見込みが無いと思ったらはっきりと言いますよ」と言ってくれた先生もいましたし。それはある意味良心的だなと思いました。ただ「見込みがないと言ったのに『最後の1回』と言われてそれで妊娠したケースもあるから、自分は何も言えない」と言った先生もいました。
この頃、カルテに「病院の待ち時間が5時間だった」とか「質問に対する答えがよくわからなかった」といったことが記録されているんですが、病院の治療が嫌になったりしていましたか?
とにかく長くてもう嫌だなと思ってましたね。
それが毎回というわけではないですよね。
そうですね、最大5時間待ったということだったと思います。
仕事
この頃、仕事を週に3回くらいしていらっしゃったとのことですが、不妊治療をしていて仕事を続けるのは難しかったでしたか?
不妊治療だから3回にしたというわけではないんですが、結婚前にしていたようなフルタイムでの仕事をPクリニックみたいな大きな病院での治療は難しかっただろうなと思いましたね。よっぽど職場に理解があって、病院が近くて環境が整っていないと難しいんじゃないのかなと。私の環境としてはすごいよかったんじゃないかなと思いますね。東京で有名な病院に通えてしかも職場に言えばお休みをいただけましたし。
相談の環境
確かご両親には治療のことは言っていなかったんですよね?
最初は言っていなかったんですけど、夫の両親のほうが孫を欲しがっているのを知っていたので「不妊治療を始めたんです」ということを途中で言いました。うちの母にも途中で言いました。
プレッシャーは?
かけられたことはないですけど、自分がプレッシャーに感じてました。義理の母には「こればっかりは”授かりもの”だからあまり悩んで健康を害したらもったいないわよ」と言われたのですごくホッとしたんですけど……でもそうはいっても《孫の顔を見たんだろうな》と。
ご主人は長男?
はい、長男の長男を欲しいだろうなということはわかっていたけど(プレッシャーを)かけられたことはないですね。それよりも夫側の親戚に会うたびに「子供はかわいいよ」とか言われてて《「天気いいね」とあいさつしているようなもんだろうな、悪気はない》と流すようにはしていました。
親戚の方の話で思い出しました。そういえばちょっと変わった美容師さんがいたんですよね?
そうそう、いました(笑い)。「子供できました?」とか「そろそろ妊娠されたかなと思って」とか訊いてきて。耳を疑ったんですけど。それが2、3回あって。それからそこの美容室には行ってないです。よく考えたらセクハラまがいですよね。たぶん自分の子供の話をしたかったんでしょうね(笑い)。
罪ですよね(笑い)。
体外受精
2回空胞が続いて、3回目で《もしまた空胞だったら……卵子の在庫がなくなっているのだとしたら、不妊治療どころじゃない、子供ができないんだよな》と思うとすごい緊張しましたね。1回目はショック、2回目は絶望で、3回目は緊張という感じですかね。受精しない、着床しないとかの以前の問題で”卵子が採れない”ということは想定していなかった。「こんなことあるんですか」と先生に何回も訊いたら「在庫が少ないとそういうこともあるし、そもそも今まで生理があったからといって順調に排卵してきたのかっていうのはわからないんですよ。ただ2回続くのは珍しいですね」って言われてショックでしたね。
体外受精を繰り返していて、心境の変化などはありましたか?
体外受精については”慣れ”はないと思うんですよね。通院自体は慣れても、移植して期待して生理がきて毎回ガッカリするっていう。気持ちだけではなくて、そのたびに高額のお金がなくなっていくし、焦りもでてくるし。ただPクリニックになって採卵が全然痛くなかったんですね。慣れたのかな……。待ち時間が長くてもイライラしなくなったし。
治療は緊張するものでしたか?
採卵の結果、受精をしたかどうかを聞くのは緊張しましたね。採卵の前は緊張しませんでした。
採卵は痛くなかったということですけど無麻酔でしたか?
そうですね。管がすごく細くて「これはPクリニック独自のものだ」とスクリーンに紹介されてましたね。確かに痛くなかったですね。あと、卵に刺激を与えないためなのか、薄暗い所で採卵をするんですよね。Yクリニックではそうではなかったです。痛くはないけど緊張もするし、できればやりたくないことですよね。こんなことまでしないといけないのかと毎回思いましたね。
たしかガーゼは自分で取るんですよね?
そうですそうです。採卵を待つ人がベッドに並べられてカーテン一枚で仕切られて……ブルーになったのを覚えています。手術着みたいのを着て、頭髪が入らないようにネットをして、「私、体は別に悪くないはずなのにな」と。
胚盤胞を移植・妊娠
その後2014年4月(初めての体外受精から1年強)、採卵して胚盤胞を移植されています。
(Pクリニックで)採卵3回目の時になぜか2つ採卵できたんですね。それですごく嬉しかったのを覚えています。
その2つを培養して……
はい、一つは妊娠して、もう一つはまだ預けています。
そうなんですか!この時グレードはいくつだったか覚えていらっしゃいますか?
グレードはいいと言われた記憶がありますが、ちょっと具体的な数字は覚えていません。ただ培養士さんから説明を受ける時に「グレードは、あくまで見た目でキレイに分割しているかどうかなので、グレードが悪いからといって妊娠しないとは限らないんですよ」と言われたふうに覚えはあります。胚盤胞で移植したのは初めてだった。
妊娠後
着床して4週頃、HCGの値が33.6ということでちょっと低く、経過観察になったんですよね。
HCGの値が低いということはどういうことかを訊いたら、妊娠はしているけど育たない可能性や子宮外妊娠の可能性があると言われて、全然喜べないなと思いましたね。正常妊娠の確率を訊いたら6割との答えだったので私は《だいたい半分はダメなんだ、期待しないでおこう》と思ったんですね。ところが一緒に聞きに来ていた夫に「半分以上は大丈夫じゃん」と言われたので、こんなに感じ方が違うんだなと思いました。
前野さんは期待しないでおこうと思っていたけど、希望は持っていた?
そうです。「うまく育ってね」ってお腹に語りかけた気が……(笑い)
この頃、(遠方の)実家に帰っているんですが、迷っていたんですよね。
そうです。もしも帰ったら流産しやすくなるのかと思ったんですけど、お医者さんに訊いたら「この時期に流産してしまうのは、母親の行動ではなくて、そもそも受精卵に問題があって流産するから、(帰るのは)問題無いですよ」と言われて、それで帰ったんです。
産科をどこにするかでも迷っていたということですが、どのように決めましたか?
高齢出産ということもあるし、不妊治療のこともわかってくれるところ、何があっても大丈夫なところを探したら、2つ病院が見つかったんですけど、無痛分娩もできる方の病院にしました。
お産はご実家の方でされたんですよね?
はい。
さきほどの選択肢の病院はどちらでも出生前診断をできたと思いますが、検査はされましたか?
検査はしなかったです。検討はしましたけど、ここまで欲しかった子供だから結果がどうであれ産むつもりでいたので、検査はしなかったです。
振り返ってみて
病院を選ぶポイントは?
結果が出るということを目的に病院に行くので、評判とか実績が一番の優先順位だと思います。Pクリニックはすごい”機械的”とは思いましたけど、そういう部分は慣れました。あと鍼灸院に関しては、気持ちがいいとか元気になるところじゃないとあまり続かないなと思いました。
治療中に気をつけていたことはありますか?例えば甘いモノを控えたりコーヒーを飲まないとか。
言われた時は続けるんですけど、治療のストレスがあるので、そこまでやったら自分の生活が《楽しくないな》と思ってストレスにならない程度に。ヨガとか、自分のストレスにならない「これはいいよ」ということは続けていた気がします。健康的な生活をしようとは思っていました。体温を下げないようにすることが必要だと聞いたので、冷やさないように気をつけてましたね。気休めかもしれないですけど、5本指の絹でできた靴下とか、やれることはやってるんだから自分が安心かなと思っていました。
特につらかった時期
最もつらかった時期は?
生理が来るたびに落ち込むというのはありましたけど、空胞が2回続いた時は結構しんどいなと思いました。それと(体外受精を)8回やってダメだったらやめようと思っていました。気持ちも続かないし、お金の方はどうにか工面できたかもしれないですけど、結果は出ていないのに毎回お金を払うたびに嫌な気持ちになりましたね。先が見えないというのが一番つらいなと思いました。
経済的な面も含めてご主人とはどんな話を?
私が不安に思っていることは言っていたんですけど、夫のいいところでもあるんですけど、何の根拠もなく「大丈夫でしょう」と言うので、「本当にこの人ちゃんと考えているのかな?」と不安に思うこともありましたし、それに救われることもありました。(妊娠)できなくて残念がられたら私ももっと残念だったと思います。
メッセージ
不妊治療をしている方、これからしようとしている方にアドバイスとかメッセージ、知っておいてもらいたいことなどはありますか?
環境によって全然違うと思うので、アドバイスできるような立場ではないんですけど……。子供が欲しいという気持ちで治療を始めましたけど、もしもできなかった時にでも《幸せな人生を送れるように》って思いながら治療をしてましたね。もしもできなかった時に自分で自分のことをかわいそうって思ったら”損”だなと思っていた。
将来、子供のいない人生も考えていたんですね。
すごく考えましたね。不妊治療をしている友達と話していたのは「子供がいないからといって不幸せとは限らないのに、なぜ私たちはこんなに悲しむのか」と。「衣食住足りていて子供がいないだけなのにこんなに悲しんでいるのって損だよね。無いものを『無い無い』と悲しんでいても損だから今を感謝して生きよう」みたいなことを話していましたね。ただそれでも期待はしていたので、自分の感情がすごく揺れた時期があったんですね。
感情が揺れることはしようがないですよね。
そうですね。これまでは自分が「欲しい」というものは手に入れることができたと思う。自分の努力次第でどうにでもなった。ところが自分の努力ではどうにもならないことがあるということをすごく実感した時だった。もしもできなくてもそれを受け入れる準備をしながら治療をやった方がいいんじゃないかと思います。子供がいて幸せな人もいれば、いるから不幸せな人もいるから”子供がいないからって不幸せ”だと思わないようにしてました。
これは友達から言われてそうだなと思ったんですけど「子供ができるっていうことが幸せだと思って子作りをするんだったら、不妊治療は子供を迎えるために幸せな治療であるはずなんだから、そんなつらいつらいと思わないほうがいいんじゃない?」と言われて《たしかにそうだよな》と。ただ「つらいものはつらいからね」って(笑い)。でも自分で必要以上に《つらいつらい》と思わないように《子供を作る準備をしに治療に行っているんだ》って思う時期もありました。ストレスを発散できるようなことをしながらやった方が精神衛生上いいんじゃないかと思います。
第二子のサプライズ
そういえばびっくりしましたけど今もう第二子がお腹にいるんですよね?
そうなんです。自然妊娠で。こんなことがあるんだなと思ってびっくり。
それはいつ頃わかったんですか?
子供が1歳になって、この子は兄弟ができないのかもなと思っていて、ただ預けているのが(凍結胚盤胞が)一つあるのでいつ移植しようかと話していて、でも「まだ子供に手がかかるから」と思っていたんですが。
すごいことですね。
タイミングを計っても何をしてもできなかったのに不思議だなと思っています。
こういうのは治療をしている人にとって、とてもいいニュースになります。
治療をしている時に《治療をしているからといって子供ができるとも限らないし、治療をやめたからといって子供ができないとも限らない、もしかしたら治療をしているのがよくないのかもしれない》とも考えていたんです。かといって(治療を)やめる勇気はなかったですけどね。《やめたほうがいいのかな?》といつも揺れてはいたんですけど、始めたら《もうやめられない》と思いましたね。やれることをやったんだからと考えられるし、後悔しないほうがいい……ただ日によって考えは変わりますよね。
変わりますね。
うまくいくといいなと思いますけど、それは「神のみぞ知る」って思います。
長い時間ありがとうございました!お体をお大事に。
ありがとうございました。
ご主人様からのアンケートのご回答
子供は授かりものだと考えていたが、年齢を気にする妻の希望で治療を始めました。子供ができないことよりも、治療で辛い思いをしている妻の様子を見るのが辛かった。生殖医療については複雑な気持ちも多少あったが、子供に恵まれて感謝している。
聞き手の感想
前野さんのお話はとてもわかりやすく、高FSHや低AMHの説明など、先生が当時話をしていた内容などとても参考になりました。